明治にできた「待合」は政治家に大人気?

江戸時代に「待合茶屋」が生まれ、待ちあわせや会合の場として活用されるようになりました。待合茶屋の中には、奥の座敷を貸しだすところも登場し、芸妓や娼妓をよんで酒を飲み、座敷の奥の寝室につれこんで性行為にはげむという遊びもはやります。

江戸から明治に変わり近代国家が誕生すると、日本初の鉄道が完成。新橋(汐留)付近は鉄道の起点として栄えはじめます。それにともない、待合茶屋も新橋付近に次々とでき、高級な店は政治家も利用するようになりました。比較的料金の安い待合は現在のラブホテルの役割を果たすようになります。

高級な待合では政治家が密談

待合は、現在の「料亭」に近い業態です。ただ、料理を店でつくることはなく、食事は外の店からの出前でした。接客係のつく貸し部屋業のようなもので、芸妓を呼んで食事と酒を注文して宴会をする場所です。店は貸し部屋代をとり、芸妓や外の店に頼んだ食事にも手数料を乗せて請求します。安い店から高級店まで幅があり、内容もかなり異なります。

高級店の場合には、企業の幹部クラスや政治家などが、酒を飲みながら重要な打ち合わせをする場として活用されました。寝泊りもできるため酔っぱらっても大丈夫という安心感もあります。店の女将は口が堅く、どんな客が出入りしたのか、どんな会話がなされたかなどは、一切口外しないため、財界の大物たちが大勢出入りするようになりました。伊藤博文などはこうした会合の後、芸妓を床に引き入れて、朝まで何度も性行為をしていたと言われます。

昭和の中ごろまでは、政治家が重要な話を「待合」で決めていたため、「待合政治」などとマスコミからバッシングもされていました。

待合はラブホテルの原型

安い店の場合には、遊女を呼んでどんちゃん騒ぎをしたのち別室で床をともにするという遊び場所です。カップルがふたりではいって床を共にすることもでき、現在のラブホテルの原型と言えます。ただ、当時は必ずしもカップルだけを受け入れていたわけではありません。待合の他に「円宿」と呼ばれる安い宿も誕生しました。

当時の「待合」には個室の風呂はありませんでした。また、コンドームなどの備品もないので、避妊はもっぱら原始的な方法によりました。

明治時代には、江戸時代から続く「待合茶屋」が少し変化して「待合」となり、政治家の集まる高級な待合から、ラブホテルのように使える安価なものまでありました。